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クマの話 [いろいろ]

 今年はクマによる被害が多いようです。襲われて死傷した人も少なくなく、すでに6人の死者が出ています。
 夏ごろまでは、OSO18が猛威をふるっていました。これは神出鬼没のヒグマで、人間こそ殺していませんが、実に60頭以上の牛を襲って肉や内臓を食い散らかしました。牧場主にとっては不倶戴天というべき強敵で、いろいろ策を講じ、罠なども張ってみたものの、OSO18はそれらを華麗にスルーして、足取りを人間につかませないまま各地の牧場を襲撃し続けたのでした。
 まるで忍者のような出没ぶりにはハンターも手を焼いていたようですが、最期は意外とあっけなく射殺され、おいしくいただかれたと聞きます。
 しかし、OSO18を仕留めたハンターのところには、ずいぶんと抗議が行ったようです。
 秋以降に人間を襲ったりしているのは、北海道のヒグマではなく秋田あたりのツキノワグマですが、これらを駆除すると、やっぱり自治体などに猛抗議が来るのだそうです。
 クマがかわいそう、というのでした。
 もちろんそんなことを抗議してくるのは、クマ被害があるような地域の人間ではありません。野生のクマなど見たことも無いであろう都会の住民たちです。

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ゆいレール20年 [いろいろ]

 沖縄ゆいレールの利用者が3億人を超えたとのことで、何よりと思います。3億人めは8歳の女の子だったそうで、ゆいレールが好きらしく、楽しい、と言っていました。ちょうどこの8月には開業20周年を迎えたところで、その意味でも大変おめでたい区切りであったと言えます。
 ゆいレールは最初は那覇空港から首里まで、のちに延伸されててだこ浦西まで17キロの距離を走るモノレールです。沖縄が本土に復帰した1972年から早々と計画が起ち上がっていたそうですが、実現までには約30年を要しました。復帰前後、すでに那覇市内の交通渋滞は深刻なものになっていたようです。

 戦前、沖縄には国鉄こそ走っていませんでしたが、沖縄県営鉄道という鉄道がありました。軌間762ミリのナローゲージ、いわゆる軽便鉄道規格であったことから、地元では「ケービン」と呼ばれて親しまれていたそうです。
 路線は4つありました。与那原(よなばる)海陸連絡線嘉手納(かでな)糸満(いとまん)です。
 ターミナルは那覇駅で、けっこう立派な駅であったようです。現在の那覇バスターミナルが、駅の跡地に建てられており、その規模からしても、単なるローカル線の始発駅というイメージではなかったことが想像されます。
 海陸連絡線は、那覇港の桟橋とこの那覇駅を結ぶ1キロほどの支線で、旅客扱いはしない貨物線でした。

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「翔んで埼玉」あれこれ [いろいろ]

 映画「翔んで埼玉」の第二作が明後日(11月23日)に公開ということで、わが埼玉県のあちこちにポスターが貼られるようになりました。ふだんは映画のポスターなど貼っていない店先などにも盛んに眼につきます。各自治体の商工会議所などが推しているのかもしれませんが、埼玉県民がいかにこの作品を愛しているかが窺われます。
 実は私は、雑誌連載の第1回を読んだことがあります。いま調べたら1982年「花とゆめ」冬の別冊に収録されていたようです。もう40年以上前のマンガだったのですね。
 私はそのころ高校生でしたが、「花とゆめ」はときどき読んでいました。私だけでなく、学校でも愛読者がけっこう多かったと思います。ちなみに男子校です。
 この雑誌、それまでの少女マンガ誌とはひとあじ違っていて、「スケバン刑事」「紅い牙」などのアクションもの、「ガラスの仮面」など一種スポ根の変形とも言うべきもの、「小さなお茶会」など独特の味のあるショートショート、あるいはかなりソフィスティケイトされた通好みの作品などなどが多く連載され、男の子からの支持も高かったのでした。私の学校でも、ジャンプマガジンといった少年誌と同じくらい読まれていたと思います。
 さてそれらの中でも一番人気と言って良かったのが、魔夜峰央「パタリロ!」でした。

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長い夏の終わり [いろいろ]

 8月が終わりを告げようとしています。
 今月は日誌の更新が滞りがちで失礼いたしました。実家のほうでちょっとしたトラブルがあり、いま数えてみたら31日のうち11日実家に通うことになって、何しろプライベートで忙しかったためでした。
 何度か書いていますが私の実家は世田谷区で、うちから電車で行くと1時間ちょっとかかります。これが微妙な距離と言うべきで、2時間以上もかかるのであれば泊まり込みに行くでしょうし、30分以下であればもっと気軽に立ち寄れます。1時間ちょっとというのは、泊まり込むにはいささか躊躇し、気軽に行くにはやや遠く感じるのでした。実家なのだから泊まれば良いじゃないかと言われそうですが、実家を出てすでに40年近く、私のものはほとんど何ひとつ残っておらず、時間を持て余してしまうのでした。かと言って仕事の道具を持ってゆくのも大変です。私の仕事はパソコンと各種資料類(楽譜など)が必須で、持ち運び用にたとえ軽量のパソコンを入手したとしても、全体としてはあまり軽量化になりません。
 まあそうしたわけで、詳述は遠慮しますが、実家にやたら通った一ヶ月だったのでした。これまでは月1回くらい顔を出す程度でしたから、かなりの頻度になります。
 とりあえず、実家のほうも落ち着いた感じなので、9月からはそれほど通わなくとも良さそうです。8月の終わりと共に、いくぶんホッとしている私でした。

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「楽語」を考える(4)演奏標語 [いろいろ]

 楽譜に書かれている文字情報「楽語」についていろいろ考えてきましたが、最後に「演奏標語」について触れておきます。これまでの、速度標語強弱記号変化標語発想標語などは、どんな楽器、あるいは声楽に対しても共通で成立するものでしたが、演奏標語はその楽器特有のものが多くなります。また、簡略化した記号で示されることもよくあり、むしろ「演奏記号」と呼ばれることのほうが普通かもしれません。

●ピアノ●
 ある意味もっともポピュラーな楽器だけに、ピアノ特有の演奏標語・演奏記号はけっこう種類があります。
 ピアノは鍵盤楽器であるわけですが、鍵盤だけで成り立っているわけでもありません。特徴的なのは足で操作するペダルです。まずこのペダルについての楽語から考えてみましょう。
 グランドピアノの場合、3つのペダルを備えているのが標準型です。ただし価格の安いピアノ、製造年が古いピアノなどではふたつしか無いものもあります。
 右のペダルをダンパーペダルと言い、弦を押さえているダンパーという機構を動かします。ふだんは弦にダンパーが接しており、鍵盤を押すとそのダンバーが外れると共にハンマーが弦を叩きます。それで音が出るわけです。もしダンパーが外れないと、いわば消音器みたいなものですから、かすかな音しか出すことができません。
 鍵盤から指を離すと、ダンパーが戻り、音が消えます。

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「楽語」を考える(3)発想標語 [いろいろ]

 速度標語強弱記号変化記号変化標語に続き、いよいよ発想標語を考えてみましょう。
 「発想記号」ともよく書かれますが、イタリア語の単語などがそのまま使われることが多いので、記号というよりは標語と呼んだほうが良いと思います。
 これについては、任意の言葉の副詞形を用いればなんでも可能というところがあり、いままで使われてきた発想標語を網羅することは誰にもできないでしょう。日本の作曲家の中にも、

 ──これ、辞書と首っ引きで探してきたんじゃないのか?

 と思われるような、見憶えの無いイタリア語をやたらと使っている人が居ます。実は私も、luccicandoという発想標語をしばしば使うのですが、これは普通の辞書には立項されていないと思います。「きらきらと輝くように」という意味合いですが、辞書にあるのはluccicareという動詞だけで、楽語として使うための副詞形はまず載っていません。
 そんなわけで、滅多に使われないような言葉まで採り上げると大変なことになります。ここでは比較的よくつかわれる、従って楽典の教科書などにたいてい載っている言葉について語ってみたいと思います。

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「楽語」を考える(2)強弱記号と変化標語 [いろいろ]

 「速度標語」に引き続いて、ほかの楽語を見てみましょう。
 もっとも多種多様なのは、いわゆる「発想標語」と呼ばれるもので、どんな情感を込めて、あるいはどんな性格を持たせて音楽を演奏するのかということを指示する言葉です。それから「演奏標語」と呼ばれるものもあります。これは楽器をどのように使って演奏するかを指示するもので、楽器によって独特な術語が使われることが多く、専門が違うと意味がよくわからないというようなことも起こり得ます。
 それらも面白いのですが、いまはあとにまわしておきます。

●強弱記号●
 今回、まずは「強弱記号」を扱ってみましょう。
 音量を表す楽語ですが、ほとんどの場合は略号をもとにした記号で書かれるため、「強弱標語」という言いかたはしません。演奏する側としても、ひと目でわからないと困るので、長たらしい単語をそのまま書くことは滅多に無いのでした。
 基本は、p(ピアノ)とf(フォルテ)です。pは「小さく、弱く」、fは「大きく、強く」と理解すれば良いわけですが、原義を調べるとこれがまたなかなか興味深いのでした。

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「楽語」を考える(1)速度標語 [いろいろ]

 楽譜を開いて見ると、いちばん目立つのはもちろん音符なのですが、それ以外にもいろいろな記号や文字情報などが書き込まれています。
 音符だけ書いてあっても、音楽を演奏するにはいろいろと足りないことがあります。どのくらいの速度で演奏するのか、どのくらいの音量で演奏するのか、どんな音質を求めるのか、音と音のあいだをつなげるのか切るのか、どんな表情をつけるべきなのか、考えることは次から次へと湧き上がってきます。
 楽譜というものが現在の形に整ったのは大体17世紀ごろですが、最初のうちはそれこそ五線に音符が並んでいるだけのものでした。バロック期を通じて、次第に速度の指定や音量の簡単な指定がなされるようになりましたが、いまの眼から見るとごくあっさりとしたもので、書かれているとおりに演奏してみてもどうにも物足りないというか、ぶっきらぼうな音楽になってしまいます。
 演奏者は行間ならぬ「音符間」を読み取ってゆかなければならないわけですが、これはなかなか経験の浅い者には難しいことです。それで、えらい演奏家や研究者などが、自分なりに解釈した「編曲版」というのを作ったりしています。作曲家の自筆譜や、作曲家自身が眼を通したであろう初期の出版本、いわゆる「原典版」を元にして、現在用いられているさまざまな記号や文字情報を書き加えたものです。

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吉野ケ里の墓所発掘 [いろいろ]

 吉野ケ里遺跡で見つかった墓所の発掘結果が待ち遠しくてなりません。
 吉野ケ里は北九州ではじめて見つかった本格的な環濠集落で、これこそ魏志倭人伝に記された邪馬台国の跡なのではないかと騒がれました。
 邪馬台国については、九州説と畿内説がずいぶん昔から対立していました。魏志倭人伝には、倭、すなわち当時の日本について、多くの小邦に分かれていたとして、30ほどの国名が列記されています。それぞれの国名はいままで、いろんな現存の地名に比定されてきましたが、まあ言葉遊びのようなもので、ちょっと似たような響きの地名があると「こここそが○○国!」などとドヤ顔でのたまう人がけっこう居ました。
 何しろ魏志倭人伝以外に文献資料が無く、考古資料だけでは地名までは比定できないというわけで、本職の歴史学者や考古学者に加えて、素人が議論に参加することが多い問題だったと言えます。
 文中に記された方角や距離が、何を元にしているのかがよくわからないのも、比定の難しい原因です。いくら古代でも、太陽の向きを間違えたりすることはなさそうにも思えますが、羅針盤などもまだ発明されていない頃で、あまり方角があてになりません。「南」を「東」に読み替えるべきだ、などという説を唱える学者も居ました。

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相互乗り入れ [いろいろ]

 先日、都営地下鉄三田線に乗る機会があったのですが、プラットフォームに入ってきたのが相模鉄道12000系電車だったので、ちょっとびっくりすると共になんだか嬉しくなりました。
 12000系は、数年前に相鉄がJR埼京線と直通運転をするに際して投入した新型車輛です。ネイビーブルー1色というシックな塗色は、なんだか上品な色合いとして知られる阪急のマルーンカラーを連想します。車内もロングシートとはいえグレーを基調にしたオシャレな内装で、坐り心地も非常に良いのでした。そのときは車輛端の短いシートに坐ったのですが、ここはひとりずつの仕切りがついている上に少し座面が高くなっており、私のような大柄な人間にとってはさらに坐り心地が良いようでした。
 埼京線との直通がはじまって間もなく、その連絡線の試乗に行ってきた際に乗ったばかりで、その後はいちども乗ったことがありません。新宿駅でちょくちょく見かけるのですが、乗る機会がなかなか無かったのでした。
 それが三田線に入ってきたので一瞬驚いたわけですが、3月に東急新横浜線相鉄新横浜線が同時開業して直通運転が開始されたのはもちろん知っており、その直通電車が東急目黒線を介してメトロ南北線や都営三田線にも走るようになったことも知っています。さらに埼玉高速鉄道の時刻表で「海老名行き急行」の存在も確認していますので、よく考えれば驚くことは何も無いようです。とはいえ、実際に三田線の駅で12000系に乗るという体験をすると、かなりのインパクトを感じると共に、
 「本当に直通したんだなあ……」
 と実感が湧いてきたのでした。

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